菅浜の大火から100年に合わせ、冊子を発刊した若狭路文化研究所の多仁所長(左)と浜野さん=美浜町菅浜の旧菅浜小

 100年前に集落の大部分を焼き尽くす大火に遭った福井県美浜町菅浜の復興の歴史を後世に残そうと、歴史民俗研究者で構成する若狭路文化研究所と区民が共同で、復興に向けた区内での取り組みなどを紹介する冊子を制作した。同研究所の多仁所長は「大火後に人々が立ち上がり、強力な協働性を獲得していった素晴らしい歴史を知ってほしい」と話していた。

 同区では1925(大正14)年5月31日、子どもの火遊びが原因で出火し、強い南風にあおられて2時間余りで当時125戸あった民家のうち、105戸が焼失した。子どもに多くの焼死者が出たという。

 冊子の制作は、人口減や高齢化といった問題がある中で、集落の歴史を次世代に残し、地方再生のあり方を考えてもらおうと、多仁所長が企画。大火から100年に当たる今年5月31日に発刊した。

 多仁所長ら同研究所メンバーは、住民らに聞き取りしたり、資料の提供を受けたりして情報を集めた。

 大火による区内の悲惨な情景は、当時発行された新聞の記事と写真で紹介。火災を二度と起こさないようにと、大火後すぐに始まった「焼けの忌み日」の説明では、毎年5月31日に子どもから大人までが集まり防火訓練を行っていることを、昨年の様子を撮影した写真とともに記している。住民が100年間、毎日欠かさず朝と夕に拍子木を打ちながら火の用心を呼びかける見回り活動「火の番」の当番表の写真も載せ、大火を教訓とした防火意識の高さを伝えている。

 集落全体で生活を支え合おうと、復興の過程で住民が設立した生活協同組合についても説明。集落生協は全国的にも珍しく、同区の生協は日本で一番小さな生協であるとし、価値の高さと継承の必要性を強調する。一方、区外の買い物環境の充実による集落生協の経営難を掲げ、「若い世代にいかに関心を持ってもらうかが課題の一つ」と記している。

 また、復興で強まった住民のつながりが失われつつある危機感から、地元住民でつくる合同会社「菅浜わくわく協働体」が開催する「だれでもウエルカム食堂」などの取り組みも載せた。同社代表社員の浜野さんは「次世代の人には、これからもずっと人のつながりの深い集落を守り続けてほしい」と思いを話す。

 冊子ではこのほか、大正以前の菅浜の歴史や、お盆に帰ってきた祖先の霊を海に送る「精霊船送り」などの年中行事も解説している。「若狭 菅浜集落の歴史」はA4判134ページ、2200円(税込み)。岩田書院(東京)のオンラインサイトなどで購入できる。県内の公立図書館にもある。

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