現在放送中の2020年NHK大河ドラマの主人公は戦国武将の明智光秀。

実は福井県、そして若狭路も、光秀にゆかりが深い土地なんです。

光秀が織田信長に仕えた後の1570年(元亀元年)、越前朝倉氏討伐のために若狭に入り、金ヶ崎での撤退戦で大役を果たしました。

今回は、若狭路にある明智光秀ゆかりのスポットを5つ紹介します。
ドラマを見て光秀や若狭路の歴史に興味を持たれた人はぜひ巡ってみてください。

 

1. 金ヶ崎城址(敦賀市)

金ヶ崎城址

住所:敦賀市金ケ崎町1-4
☎0770-22-0938(金崎宮社務所)
JR敦賀駅:「ぐるっと敦賀周遊バス」
金崎宮バス停

1336年(延元元年)、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城。小高い山にあり眺めも良く、現在は桜の名所としても知られています。 戦国時代、越前攻めで敦賀に侵攻した織田信長は、天筒山城・金ヶ崎城を落とします。さらに一乗谷へ進攻しようとした矢先に、信長の妹であるお市の夫、浅井長政の謀反の知らせを受け急遽退却した「金ヶ崎の退き口」の舞台とされています。その際、明智光秀は木下藤吉郎(豊臣秀吉)や池田勝正らとともに、しんがりの大役を務め退却を成功させたともいわれており、この3武将の活躍により信長は無事に生き延びることができたと言われています。

 

2. 佐柿国吉城址(美浜町)

佐柿国吉城址

住所:美浜町佐柿 
☎0770-32-0050(若狭国吉城歴史資料館)
JR東美浜駅:「美浜コミュニティバス」佐柿バス停

美浜町佐柿にあった山城。 弘治2年(1556年)に築城され、若狭国守護大名で武田氏重臣であった粟屋勝久が城主を務めました。 越前朝倉氏による襲撃に幾度も耐え抜き、その勇名を馳せました。 織田信長による越前朝倉氏攻めの際には、信長や光秀らが入城して本陣とし、撤退の際も通ったとされます。 城跡には居館と山城、両方の遺構が良い状態で残っており、戦国時代の風情を今もなお留めています。 現在ふもとには「若狭国吉城歴史資料館」があり、国吉城と佐柿の450年の歴史に触れることができます。

 

3. 熊川宿(若狭町)

熊川宿

住所:若狭町熊川
☎0770-45-9111
(若狭町観光未来創造課)
JR上中駅:JRバス「若江線」若狭熊川バス停

熊川宿は、若狭と京都を結んだ鯖街道の重要な宿場町として栄えました。現在も、塗り壁の商家や土蔵など伝統的建造物が残っており、平成27年(2015年)に熊川宿を含む鯖街道が「海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。元亀元年(1570年)に、織田信長軍による越前朝倉氏討伐の際、明智光秀は先遣隊として熊川に入り、細川藤孝らに現地の状況を報告しました。また熊川は、光秀の娘・ガラシャの姑にあたる沼田麝香(じゃこう)の故郷でもあります。

 

4. 得法(とくほう)寺(若狭町)

得法(とくほう)寺

住所:若狭町熊川33-26
☎0770-62-0319
JR上中駅:JRバス「若江線」若狭熊川バス停

得法寺は、文明7年(1475年)年に蓮如上人が吉崎から京都へ上る途中に逗留した寺です。その際に蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗したと伝えられます。 明智光秀の娘・ガラシャの姑にあたる沼田麝香(じゃこう)の出自である、熊川城主沼田氏の供養塔があります。 また、元亀元年(1570年)に織田信長軍による越前朝倉侵攻の際に、徳川家康がこの寺に宿泊したといわれ、家康が腰かけたと伝わる松の跡が境内に残っています。

 

5. 石山城(おおい町)

石山城

住所:おおい町石山
☎0770-77-2820(おおい町立郷土史料館)
若狭本郷駅:「本郷線」石山バス停

石山城は、おおい町の石山集落の背後の山上や尾根に築かれた山城跡です。室町時代から戦国時代にかけて佐分利一帯を治め、若狭武田氏の家臣であった武藤氏の居城でした。 織田信長による越前若狭侵攻の際には武田氏家臣の多くが織田方に従いましたが、武田氏一族の武田信方と武藤氏はそれに従わず抵抗。武藤氏は「金ヶ崎の退き口」の後に明智光秀と丹羽長秀に攻められ落城しました。