折れた巨木の枝の直撃によって石の祠(ほこら)が崩壊した福井県若狭町堤の若狭守護武田氏の重臣、内藤佐渡守(さどのかみ)の墓(町指定文化財)が復元されこのほど、完成式が行われた。近くには初代行勝の功績をたたえる碑が建立され、内藤氏の子孫で京都府在住の内藤昌勝さんらが、今後も町内に歴史が受け継がれていくことを願った。
2021年2月の大雪で墓の後ろにあるタモノキの巨木の枝が折れて直撃し、2基の五輪塔を囲っていた祠が壊れた。中の五輪塔と祠の周りにある3基の五輪塔は無事だった。
内藤佐渡守行勝は室町時代、武田信栄が若狭国の守護に任じられた際に若狭に入ったとされる。箱ケ嶽に城を築き、ふもとに居館を、持田と向山に出城を設けたという。所領について、京との関係を生かし政治力を発揮し治めたとされている。歌人を招いて歌会を催すなど文化人としての一面も持っていた。
墓は箱ケ嶽のふもとにあり、少し離れた道路沿いに、功績を記した碑を建立した。式は顕彰碑と墓の前で行われ、内藤さんや地区関係者ら15人が出席し、焼香するなどした。内藤さんはあいさつで「子孫として、墓や顕彰碑をこれからも永遠に守っていきたい」と話した。
(※福井新聞社提供。無断転載を禁止します。記事に関するお問い合わせは福井新聞社へ。)