春は菜の花、夏はヒマワリ、秋はコスモス-。季節を彩る雄大な花畑が人気の小浜市宮川地区。「花の里みやがわ」をコンセプトにまちづくりが進み、地区の特色に合わせた花と料理が楽しめる店舗もオープンした。多数の寺社や文化財も多く残り、美しい花と歴史ロマンが共存している。
花畑と歴史ロマン共存
花屋×カフェ こだわり満載 地元出身華道家がオープン
宮川地区出身の華道家の男性が加茂神社(加茂区)近くに、カフェと花屋が一体となった「Flower Studio & Cafe JIN」を開いた。店主がこだわりぬいた鮮やかな花と国籍を問わない多種多様な料理を求め、多くの人が訪れている。
男性は前野さん。若狭高を卒業後、大阪でホテルマンなどを経て2000年から東京を拠点に華道家として活動。ホテルや大型店舗などで花を生けてきた。
店舗はクラウドファンディングなどで木造2階建ての実家を改装し今月オープンした。入り口横のショーウインドーには多種多様な草花が一つの生け花の作品のように飾られている。
花は前野さんが週に1、2回ほど京都を訪れ、直接仕入れるほどのこだわり。周辺では見られない珍しい花も並び、購入もできる。調理やメニュー開発などは妻が担当。がんなどの闘病経験を踏まえ、果物やスパイスをふんだんに使うなど健康目線を意識している。メニューはコース料理の他、パスタやおにぎり、杏仁(あんにん)豆腐などさまざまで1カ月ほどで切り替えるという。
2階に宿泊スペースを設ける計画もあり、前野さんは「歴史ある里山を体験してもらい、ここで新しい事をしたいという人が生まれ、地域活性化につながれば」と話した。
午前11時~午後3時、同6時~10時。問い合わせは同店=電話0770(57)1640。
鳳足石硯を後世へ 有志活動、市文化財に
つやつやとした美しい見た目が特長の「鳳足石硯(ほうそくせきすずり)」。原料となる赤紫や青白い色をした鉱石は宮川地区で採掘されていた。すずりの生産は途絶えたが、住民たちは後世へ伝えようと熱心に取り組んでいる。
鳳足石硯は水戸藩主の徳川光圀が命名し、江戸時代初期から上方を中心に公家などの贈答品として人気があった。小浜藩は石の勝手な採掘を禁じ、1666年には藩主の酒井忠直が全国39の寺社にすずりを贈っている。そのほか多くの著名人や日本画家に愛されていたという。
2009年に同地区の最後の職人が亡くなり、すずりの生産は途絶えたが、21年に有志が「宮川産鳳足石研究会」を結成した。忠直が贈ったすずりなどの追跡調査や情報発信など熱心な活動が実り、昨年二つのすずりが市指定文化財となった。同会の谷川会長は「これだけ立派なものが宮川から全国に出ていったということを知ってほしい」と話す。
谷川さんは釉薬(ゆうやく)に鳳足石の粉末を使った陶芸教室を開くなど新たな活用法も模索している。「地元の人でもすずりについて知らない人も多い。先人たちが残した価値のあるものなので、後世に残していきたい」と話した。
玄白ゆかり「お不動さん」 健康祈願の滝 住民ら親しみ
大谷区の山中には江戸時代に解体新書を記した小浜藩医の杉田玄白ゆかりの滝が流れている。滝のそばのお堂には不動明王が祭られ、住民から「お不動さん」と親しまれている。
滝は同区を通る舞鶴若狭自動車道の高架付近にある獣よけの柵の先にある。柵は自由に開けることができ、途中まで車でも入れる。降車後、5分ほど山を登ると到着する。
84歳まで長生きした玄白だが幼少期は病弱だった。そこで玄白の父・甫仙(ほせん)が健康回復を祈り、石像を寄進。像は滝の岩肌に今も安置されている。地域住民によると健康祈願などを目的に白装束を着て滝に打たれにくる人もいたという。
お堂では年に1度例祭が行われている。今年は今月24日に行われ、住民ら15人ほどが参加した。世話役を務める中尾さんは「昔からある物を大事に受け継いでいきたい」と話した。
小浜市宮川地区 小浜市東部に位置し、若狭町に隣接。夏には地区のメガファームを運営する「若狭の恵」が広大なヒマワリ畑を栽培し、県内外から多くの人が訪れる。冬には加茂神社(加茂区)で国選択無形民俗文化財の「オイケモノ神事」が行われる。人口249世帯、657人(7月31日現在)
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