大河ドラマの放送に合わせ、金ケ崎の退き口と国吉城の関係などを解説する企画展=美浜町若狭国吉城歴史資料館

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送が始まったのに合わせ、福井県美浜町佐柿の町若狭国吉城歴史資料館で企画展「豊臣兄弟と美浜~金ケ崎の退き口の真実~」が開かれている。織田信長率いる幕府軍が敦賀の金ケ崎城で朝倉・浅井両軍に挟み撃ちにあって撤退し、豊臣秀吉らが朝倉軍の追撃を防いだ1570(元亀元)年の「金ケ崎の退き口」で、当時「難攻不落」の城だった国吉城が幕府軍の体勢を立て直すキーポイントとなっていたことを紹介する。4月19日まで。

 展示は、国吉城が信長率いる幕府軍の越前朝倉氏攻めの本陣として使われ、秀吉や徳川家康も入城したことなど、今年の大河ドラマの登場人物に関係していることをPRしようと企画。数ある史料に基づいた大野康弘館長の解説文や幕府軍の進退が分かる地図などのパネル約20枚を展示している。

 信長らが敵を金ケ崎城で迎え撃たなかった理由については、近年同城跡の航空レーザー測量で城の構造が判明し、南北朝期の城がほぼ未改修だった可能性が指摘されていることや、近くの天筒山城は落城直後で戦場として使用に適さなかったことから迎え撃つのは実質困難だったと解説。幕府の勢力下で体勢を立て直すには、金ケ崎からの距離が直線距離でわずか約10キロで、信長が越前攻めの拠点として本陣を置いた国吉城が最適だったとしている。

 また、織田・徳川両軍は、金ケ崎の退き口のわずか2カ月後に朝倉・浅井両軍との姉川の戦いを行い勝利したことを踏まえ、撤退途中での犠牲は最小限だったとみられると説明。朝倉氏の侵攻を毎年のように受けたものの撃退してきた「難攻不落」の国吉城に入られては、朝倉勢も諦めるほかなかったのだろうと考察する。

 信長、秀吉、家康の名が記された軍記「国吉籠城記」のページの写真も展示。一方、今回の大河ドラマの主人公で秀吉の弟・秀長の名前はどの史料にも記載されておらず、朝倉攻めに来ていたかも分かっていないという。大野館長は「信長、秀吉、家康が出てくる話では、金ケ崎の退き口は欠かせないエピソード。幕府軍がうまく逃げ切れた理由として、国吉城が深く関係していることをこの機会に知ってほしい」と話す。

 入館料一般100円、中学生以下50円。月曜休館、祝日の場合は翌日休館。

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