• 寄贈された敦賀市出身の外交官、故野口芳雄さんのアルバムや懐中時計など=市資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」
  • 野口芳雄さん(外務省外交史料館提供)
  • 野口さんが使っていた懐中時計(敦賀市提供)
  • ワルシャワ勤務時代に撮影されたとみられる野口さんの写真(敦賀市提供)
  • 外務省から野口さんに送られた書簡(敦賀市提供)
寄贈された敦賀市出身の外交官、故野口芳雄さんのアルバムや懐中時計など=市資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」

 福井県敦賀市出身の外交官でポーランド公使館などで勤務した野口芳雄さん(1904~98年)に関する史料が、親族から市に寄贈された。ポーランド・ワルシャワ赴任時のアルバムなど3点で、市資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」で7月27日まで展示している。ムゼウムの担当者は「日本とポーランドの親善に力を尽くした野口さんの存在を多くの人に知ってもらいたい」としている。

 野口さんは敦賀市津内で生まれ、敦賀商業学校ロシア語学部で学んだ。ロシア革命に伴う動乱でシベリアに取り残されたポーランド人孤児が敦賀港に上陸した1920(大正9)年、16歳だった野口さんは埠頭(ふとう)まで出迎えに行ったという。

 外務省留学生試験に合格後は、東欧諸国の大使館や公使館で通訳官、書記官として勤務。ポーランド公使館に赴任した際は、母国に戻っていた孤児らと再会を果たした。「極東青年会」を結成した孤児たちは野口さんを「日本とポーランドの親善に絶大な協力をした人物」と賛美したと伝わる。野口さんの離任時には大使宛てに再赴任を求める要望書が提出されたというエピソードも残っている。

 野口さんの孫が5月、ムゼウムでの展示や調査研究に役立ててほしいと、野口さんが使用していた懐中時計、ワルシャワ赴任時代に撮影された写真が収まるアルバム1冊、1938(昭和13)年に外務省人事課から野口さん宛てに送られた書簡の3点を寄贈した。

 アルバムには、現地の関係者とのレセプションとみられる会合時のものや、街中で撮影した夫婦のスナップ写真などが収められている。書簡は、野口さんへの「賞与」を省内の出納係まで受け取りに来るよう伝える内容となっている。

 ムゼウムではポーランド孤児に関するコーナーの一角で野口さんについて紹介している。今回新たな展示資料が加わり、岡田館長は「野口さんの人生は、学生時代にポーランド孤児と敦賀港で面会し、その後、ポーランドで再会するという奇跡のようなストーリー。野口さんの功績やポーランド孤児にまつわる歴史に改めて関心を持ってもらいたい」と話している。

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