福井県美浜町佐田の帝釈寺でこのほど、県内で2番目に古いとみられる元文5(1740)年の筆塚が新たに見つかった。寺子屋の師匠をしのび教え子らが残したもので、この年代のものは珍しいという。同寺では今夏にも県内最古とみられる筆塚が見つかっており、専門家は「勉強熱心な地域だったのかもしれない」と話している。
筆塚は読み・書き・そろばんなどの指導を受けた恩に報い、後世に伝えるため、教え子たちが石碑や墓などの形で残した。県史などから、県内で最も古いものは敦賀市の安永6(1777)年とされていたが、8月に同寺で「元禄十六」(1703)年と記された住職の墓が見つかった。
今回も帝釈寺境内にあり、大きさは縦1メートル、横0・6メートル、厚さ0・4メートル。正面には当時住職だった「如海」や建立時期、側面に「施主 手習子惚中(てならいこそうちゅう)」と弟子一同で建てた旨が刻まれている。前回に続き地元の民俗学者、金田久璋さんが発見。古文書修復や翻刻などに取り組む多仁照廣さんと12月23日に写真で記録した。
県教育百年史などによると、県内の寺子屋は明治初期に537校。ほとんどの成立時期は不明だが、分かっているもので8割以上が1800年代の江戸時代後期に成立しており、全国でも同様に急増している。近世から近代の日本教育史に詳しい畿央大(奈良県)教育学部の塩原佳典准教授は「19世紀より早い時期の文書史料は散逸していることが多いため、筆塚は当時の民衆教育の様子を伝える重要な手がかり。18世紀の筆塚は他地域にもあるが、数が少なく貴重」という。
また、当時行政の仕組みは文書を中心として整備され、年貢など諸役の負担は基本的に文書を通して知らされたという。「農業が盛んな地域では庄屋層を中心に読み書きの文化が広がっていた。ここでは、帝釈寺を中心にニーズが広がっていたことをうかがわせる」と推察。今後近くの筆塚を見つけることで、学びの広がり方が分かるとした。
多仁さんは、同町新庄にかつて夜間に開かれた学校「夜学」で学んだ人たちが建てた明治時代の石灯籠が残っているとし「調査を進めていきたい」とした。
(※福井新聞社提供。無断転載を禁止します。記事に関するお問い合わせは福井新聞社へ。)