明智光秀と若狭の山城について語ったシンポジウム=11日、小浜市の県立若狭図書学習センター

 戦国武将・明智光秀を主人公にした今年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」に合わせ、光秀と若狭の山城について語るシンポジウムが11日、福井県小浜市の県立若狭図書学習センターで開かれた。3人の識者が講演し、光秀の若狭訪問の記録などを紹介した。

 県立若狭歴史博物館の徳満悠学芸員、美浜町若狭国吉城歴史資料館の大野康弘館長、小浜市文化課の西島伸彦学芸員が登壇した。

 徳満学芸員は「史料から見る明智光秀と若狭」と題して話した。1570年、織田信長の若狭侵攻の際、信長が京都を出発した時点で光秀は若狭町熊川に到着しており、先遣隊として派遣されたとみられると紹介。また82年の本能寺の変では、若狭守護の武田元明が光秀に味方し、近江で織田方の丹羽長秀の居城、佐和山城を攻撃したことなども語った。徳満学芸員は「若狭国に直接光秀が関わった時間は長くないが、当時の動乱を若狭も経験していた」とした。

 大野館長は国吉城(美浜町)を紹介した。70年の若狭侵攻で、信長が光秀や豊臣秀吉、徳川家康らを率いて3日間滞在し、軍議を重ねたと説明。「三英傑と光秀が天下へ飛躍した舞台」と強調した。西島学芸員は若狭武田氏と、その拠点となった後瀬山城(同市)について講演した。最後は3人で若狭の山城の特徴などについて意見を交わした。

 シンポジウムは同センターが企画。市内外の102人が聴講した。

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